こんなの大丈夫でしょ、傷んだ苺も丸ごと食べたら、気持ち悪くなって、げえげえ吐いている
苺を食べた後の吐瀉物は爽やかなピンクっぽい赤色で、きれいだった
ここ最近見たものの中で一番鮮やかに記憶に残っている
こんなにきれいなゲロがあるなんて知らなかった
書かなければならない。書き続けなければならない。何故なら、聞いてしまったから。問い掛けられているから。励まされたから。生かされたから。そう思ったから。こんなもの誰が読むのか。それでも書くしかないと励まされた。お前はどうすると問い掛けられた突きつけられた。本屋を開きたい。ブログを開設したい。誰かの励ましとなるかもしれない。たまたま読んだ最後の言葉になるかもしれない。私自身を鼓舞したい。声を上げることを恐れずにいたい。
わざわざ私のために用意してくれたものなのかもしれないのだ。というか、わざわざ切手を買って、切手を貼って、ポストに投函してくれたものなのだ、この手紙は。
そういうことに、気付けないでいる。そういうことにふと思い至って、自分の胸の辺りがひび割れていることに気付く。乾いた土くれみたい。助けてくれる人も心配してくれている人もいるのに、医療機関にだって受診できているのに、世界で一人ぼっちみたいに思ってしまうのはなんでなんだろう。
少しずつしか変われないと思う。少しずつでも変われたらと願っている。急いで急いで走って息を切らして、焦っていることに気付かないでいる。いきなりそんな変われないよって焦らなくていいよって言葉が形にならなくてばらばら宙に浮いてだんだん空っぽで何かあったらしいことだけが分かる。
洗濯ものの回る音を聴きながら
これを書きながら今日は重陽の節句だと思い出す。お月見団子が食べたい。
ずっと前の下書きを掘り起こして投稿した。書きかけのよく分からんところを消したり補記したりうんうん考えるのは久しぶりに楽しかった。
プスプスと頭にマッサージ用のシリコンでできたトゲトゲを刺してぐりぐり
ここのところとても落ち込んでいたけれどなんとかなるような気がしてきた
ものすごい落ち込みにも楽観的な気分もどちらもなんの根拠もなくて
ものすごく肩や首が凝っていることだけはたしかです
返信を思いつかないまま指が止まっていや指を動かすことはできるのですが書いては下書きに保存しそれを削除し、また一から書こうとしています
待っていてくれるでしょうか
話すことで考えや気持ちが整理されていくみたいに、書くことで整理できていけばいいなと思う。
ぼーっと精神科医のYouTubeを見ているとなんとなくほっとして安心してわかったような気になって終わってどうだった?って後から思い出そうとしてでも感想とか言葉にならなくてなんとなく癒された気になってでも助けられているのは確かで
あっという間に桃の季節が過ぎて行って梨の季節になっていた。もしかしたらもう葡萄の季節になっているのかもしれない。
せっせと背の高いポット?を洗い、茶葉を入れて水道水を満水にし朝まで冷蔵庫で寝かせたら水出し茶の出来上がり。最近サボっていた。そろそろ温かいお茶の季節がやってきているのかもしれない。